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 ■旅のコツ・裏話
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旅の姿・(宿編) 寝床、それは旅の大きな悩み。私の寝床は?
旅の姿・(PC・登山編) 自分の旅とは?そんな自分に振り返る

 ■旅の姿・(PC・登山編)
〜 私のPC・登山 〜

  旅で辛かった事?そう訊ねられた時にはすぐにその答えが出てくる。それは自転車での旅とは関係のない、登山とPCである。登山ではとくに登山口まで果てしなく続く坂道に苦しめられ体力を奪い、そして涙した。PCでは精神面で身体をむしばみ、胃をもを苦しめ、また時にはHPという繋がりによるプレッシャーにも潰され自分を見失いそうにもなった。
 しかし、そんな気持ちはやっぱり山やHPで助けられる。たくさんの声、そして自然の声、私の心に今も響き続けている。

 

 ■PCとの戦い

 「3時間」それが毎日のやらなければならない時間であり、それが日課であった。サボれば次の日のは6時間、次の日には9時間と増えていくのがPC、すなわちHPの更新作業である。これには終始悩まし続け、精神的にかなり追い込まれた。この日記、文を書くのを大嫌いなだけに苦痛は大きく、それに上乗せして電源の辛さ、そして時間の辛さがのし掛かっている。そんな辛さをもう何度もこのHPの日記に書き殴ってきたが、今回またまとめてここに書こうと思う。しかし、そんな辛さの中にも生まれるたものが多々あった。そして最後には乗り越えてきて良かった、そう心から思う旅の終わりであり、次の道の始まりであった。

日記
 文章を書くのが苦手な私。学校ではどんな作文でも原稿用紙1枚で終わってしまう。いや、それだけ書くのも苦痛でしかなく、たとえば読書感想文なら、ただあらすじを述べて、そして○○だと思った。そう書いて良しである。そんな文しか書けない私である。また小説も旅に出る寸前まで読んだことのなかった私。文には無縁な私がこの旅で始めた日記。それを毎日、1年半続けていくことは辛くて仕方がなかった。なんでこんなこと始めたのだろう、私には合わないだろう日記を、それを人に見せるなんて・・・ そんな始めたことの後悔をただグッチってばかりの毎日であったが、しかし、辞めようとは一度も思わなかった。ただ、ちょっと変わった旅がしたくて始めたHPの旅日記、そんな始まりではあったが、しかし、これが自分の旅のケジメの大切な一つであり、またこれが自分の旅での仕事でもあった。辛いのは当たり前であり、その辛さが1年半もケジメを守り続け、自分自身の旅を守り続けてきた大きな理由だったと今では感謝している。
 そんな日記、初めの内は自分の旅の記憶の為、そんな色で書き始めた部分が濃かったが、しかし、次第に書いていく理由が変わってきた。いや、旅の目的すら変わってきた。この日記を見て喜んでいる人、また楽しみに待っていてくれる人、さらには励みにしている人、そんな人の声であった。そして「人へ伝える」その喜びを知り、そしてこれが、自分の旅の中ですべきことと実感した。旅の目的を失いつつある中であったが、その不安は一気に吹っび、その後、苦痛に感じながらも、必至になって1年半書き続けた。その力が読者であった。
電源・時間
 これも日記と対をなして大変なことであった。日記を書くには1日3時間という時間もなければならないし、またその間の電池もなければならない。いくら書く気になっても電池がなければ書けず、またその逆も当然ある。また登山中は何日も書けない時もあり、登山後は貯めた日記に追われることも多々あった。なにせ1日3時間という時間を作り出すには今思いだしても、よくやったな、そう自分でも感心するばかりであった。
 そんな日記に追われる1日を振り返ってみる。昼間は昼間で移動、観光、登山と忙しい。とくに観光は見たいところだらけであり、また歴史散策では資料館で見入ってしまうために、2,3時間出てこないことも多く、昼間はとても日記を書いてられない。また、野外では日差しがまぶしすぎで液晶が見れないというのも理由の一つだ。そんな昼間は時間を惜しみ大概日没一杯まで観光したり走る。それでも、時間は足りないほどだ。そして18時に野宿場所を見つけて落ちついたとしよう。そこからテント設営、自炊と約2時間は掛かってしまう。そして気付けば20時、そこから日記書きを始めるのだが、しかし、21時、22時には疲れのあまり睡魔に襲われる。また、懐中電灯の明かりでPCを打つために目が疲れ、また辺りの暗闇に誘われ睡魔にも拍車が掛かり、大概は日記の全て書き終える前に寝てしまっていた。その為、翌日の4時又は5時には起きてまた日記作業の続きであった。それでもまた自炊、テント撤収としていれば出発は早くて8時、9時近くになってしまう。かなりの時間がこのPCに費やされていた。それが1日貯めてしまえば、次の日には倍に帰ってくる。疲労、登山、そして人にお世話になったときなど、そんなときはとても日記は出来ない。その為、人にお世話になっている楽しい団欒のひとときも辛く思えてくることが多々あった。日記を書かなければいけない、運良く声掛けられ、是非に!と誘われても、そんな日記が溜まってしまうために、いや、すでに溜まっているときなどはさらに貯めたくないためにお断りしてしまうことも多々あった。日記はそんな旅を犠牲にしてしまっていることもあったのだが、しかし、それが、やらなければならないこととして自分の旅のよいケジメともなっていたのも事実で、常に自分をこうして追い込むことでエネルギーに変えていた。辛さが力を生んでいたのだ。
 電源、時間、それらに常に追われていた旅。観光しているときや、自転車を漕いでいる時は、そんな時間から逃れている唯一の安らぎであった。 今、振り返るの、辛さと安らぎ、そんな時間が楽しかった。
プレッシャー
 HPの重圧。予想もしなかった重みが旅中のし掛かっていた。人に伝えるという喜びを感じると共に、日記を楽しみに待っているという重圧がのし掛かる。さらには人が常に見ているだけに毎日毎日何か行動しなければならない。たとえばあまりダラダラとしていれば、期待を裏切ることにもなり、がっかりさせることにもなる。それを始めて重く感じたのは高知であった。新聞に載せてもらったときの反響、そのあまりの反響の大きさに戸惑い、「頑張って下さい!」そんな言葉に押しつぶされそうになった。全ての行動が、監視され、応援、また時には批判を受ける。そして日記を書かないものなら、どうしたんだ?どうしたんだ?心配のメール。1日たりともサボることの出来ない重圧もある。その辛さに何度も押しつぶされそうになり、それがために日記に手がつかないこともあった。そして日記を次の日に繰り越してしまいさらに悩む。もう頭はパニックだ。
 しかし、そんな自分を支えてくれたのもHPであった。そんな自分の気持ちは自然と日記に現れる。そして励ましの声、「自分の旅を・・・」そんなメールにわれに返り、自分の旅を取り戻す。そして、そのプレッシャーが逆に「やらなければならない!」と言うエネルギーへと変わっていく。自分自身の力の源は全てこのHPにあった。
PCを持つこと

 PCを持ち旅をすること。賛否両論だろうが、私は両派に属している。ある意味賛成であるし、ある意味反対だ。旅中、「せっかくの旅を無駄にしている。もったいない!」、「あいつはバカだ!旅を知らない。」、HPを通してそんな風に言われたことが多々あった。私も実際にその通りだともう。前にもこうした項で述べたが、このPCと言うせいで時間を犠牲にし、またせっかくの出逢いをも犠牲にしてきた。思い返しただけでも数え切れない。いや、毎日だ。そう思うからこそ、旅らしい旅をしてもらいたいからこそ、自分はPCを持つことを否定する。ただ、それは旅の目的にあるのだと思う。仕事や勉学に励んでいる社会人や学生、そんな人が休暇でリフレッシュの為に旅に出るのであれば、できればPCを持たず、存分に遊んで欲しい。弾けて欲しい。でも、このPCがその人が遊びだと思っているのであれば、PCを持って旅と共に遊びストレス発散して欲しい。要はPCに対する考え方である。
 逆に旅をただのストレス発散ではなく、旅で学びたい、また自分を見つめ直したい。さらには人に伝えたい。そんな思いがある人、とくに長期旅の人にとってはPCを持つことは、決して良いとは言えないが一つの面白い選択だと思う。私の場合はPC(日記)は自分に課したケジメであった。これを”やらなければいけない”という自分の仕事と課したからこそ、長い旅でもケジメを持つことが出来た。さらには人に楽しんで貰えた。そんな目的があったからこそ、このPCからは学ぶことが多かった。それが苦痛だからこそ旅が引き締まり自分の中では遊びの旅ではなくなった。そうしたかったのだ。そんな風に旅に主題がある人にとっては素晴らしいアイテムだと思う。特に何か伝えたい思いがある人、これほど素晴らしいものはない。だから私はPCを否定もするし、賛成もする。
 最後に自分は遊びの旅の時は決してPCを持っていきたくもなければ忘れていたい。PCを持ったときには仕事中である。そう、自分の旅は勉強であり、自分の出来る今の仕事であった。


 ■登山

 100名山。旅の動機にも書いてあると思うが、これもPCと同様に自分のケジメからのスタートであった。そして旅を終えた今もケジメとして残りの20山の登頂を目指している。「登らなければならない。」、それが自分が旅に課した仕事であった。

登山の始め

 どうしてこんな辛いことを始めたのだろうか、自分でもそれが疑問に思うときがある。いや、未だに正確な答えを出すことは出来ないが、辛いからこそ始めたのだろうと今は思っている。
 自分の学生時代、とても運動についていけるような身体ではなかった。別に虚弱体質と言うわけでもなく、いたって健康であったのだが、しかし、成長が遅く、人よりも一回りも二回りも身体が小さかった。今では171cmと決して小さくはないが、しかし、これでも小中学校、さらには高校2年まではクラスで、さらには学年を通しても一番背が小さかった。朝礼では前に手を伸ばしたことはもちろんない、いつも腰に手を当てたあの一番前の姿である。それが高校2年まで続いた。そんな身体だから当然運動は全て×。ボールを投げても、短距離も長距離も、さらには水泳、サッカーなにをやってもダメである。体育の時間ほど嫌いなものはなかった。それが為に学校にも行きたくないほどであった・・・
 そんな私に成長期が
訪れ背が今の様に延びたのが高校2年の時だった。しかし、遅すぎた。とても他の人に混じって運動をするという身体ではない。小学生の様な小ささで高校を入学した私。もちろん選んだのは文化部であった。選択の余地はなかった。それほど小さかった。そしてそれが自分のコンプレックスとなっていった。
 社会に出てからもそのコンプレックスは変わらない。身長171cm。体重48kg。そんな痩せた身体が嫌いで仕方がない。しかし、鍛えるにしてもそれが恥ずかしかった。出来ずにいた。また運動という未知の世界へと踏み出していくのが怖かった。しかし、それを一変したのが山との出会いであった。地元の山であり、また日本一の山でもある富士山との出会い。一度だけでもあの頂へ!そんな思いが募り挑戦してみたのが始まりだ。そして、そして私でもやれば出来る。そんな自信から、身体を動かすこと、汗を流すことの楽しさをしった。それが登山の始まりであった。

旅の100名山

 自転車日本一周。どうせやるなら人がやってないことを!好きな仕事を辞めてまで出るこの旅を、自分なりに身になる旅にしたい。そして遊びにはしたくない。そんな時に浮かんだのが、上記のHPでの日記公開と、100名山の人力登頂であった。体力はないが、しかし、時間と根気さえあれば私でもやり遂げられるのではないか、そんな思いで登りはじめた。それがこの旅の100名山だ。そしてこれが旅のよいケジメ、目標となった。日本一周が目標ではない。百名山で精神力、体力を鍛えることが自分の目標となった。今までは挑むことの出来なかった、そして言い換えれば逃げてきた運動、そしてその辛さを感じたい、乗り越えたい、そんな思いで1山、1山であった。
 日本一周の旅を終えた今、100名山の内、20山が残ってる。自分で100名山登ると決めたからには今年も残りの20山に挑戦しようと思っている。これが自分にとってのケジメであり、また旅であった。「登らなければならないのだ!」



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