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更新日時 02/04/28 2:07
本日のデータ
日付
4月 27日
天気
曇時々晴
旅行日数
0 日目
体調
良好

本日の移動
 自宅〜鳳来〜新城〜三ヶ日〜自宅
走行距離
87.0 km
出発前累計距離
237.5 km
宿泊地
自宅



長篠城凸 散策!

 今朝はなかなか起きられずに長篠行きをあきらめようとさえ思った。目覚ましは7時にセットしてあったのだが、結局起きたのは10時。でも、やっぱり予定通り行こう思いだったら早い。朝食をさっさと済ませ、昨日入らなかったので朝風呂をすませて出発。11時だ。

 自宅から国道257号線へ出て、ひたすら北へ走る。アップダウンがありなかなかの難所だ。作り途中の第二東名を横目に進む。思っていたより苦戦することなく、13時に長篠城址に着くことができた。そこにはGWにお祭りがあるらしくたくさんの幟が立っていた。


長篠城下流れる川

入り口看板


入り口の幟


 ここからは歴史のちょっとマニアックな話しになるかもしれない。長篠城址の入り口に磔の絵が描かれた大きな看板があった。私はもちろんその人の事をよく知っていたので感動してしまった。知る人ぞしる人物かもしれない。名は”鳥居強右衛門” 簡単にその勇姿を書くと、

 ”奥平信昌の家臣。三河の長篠城が武田勝頼の重囲に陥った時、夜陰に乗じて城を抜け出、50kmを走り岡崎の徳川家康に謁して援軍を請い主命を果しが、休むことなく城中の人に援軍が来ることを伝えたい一心で帰路に向かった。たが、帰途、長篠城を目前に敵(武田)に捕えられる。武田方から城内へ”援軍は来ない”と伝えれば命は助けてやると言われて城前へ立たされるが”援軍は目前である”と言ったために磔の刑の処された。その時に武田家家臣の一人がそれに感動し、その磔の模様を書きとめて旗印とした。それがこの磔の絵だ。” 以上余談でした(^_^;)

 そんなわけで私はこの人をよく知っているだけに、その看板に興味をひいた。長篠城址には城閣はなく、わずかな堀を残すのみだった。そんななにも無い城でも私は興味津々で見てまわった。一つ以外だったのがもっと断崖絶壁の上に城が建っていたのかと思っていたが、それほどでもなかった。だが、川に挟まれた地で要害であったことは間違いないだろう。それに守っていた奥平貞昌が優秀だったのだろう。そんな勇姿を思い浮かべながら見てまわった。ちょっと嬉しかったのが合戦の参加した両陣営の各武将の旗印の幟が個々に上がっていたことだ。知っている武将ばかりだ。



資料館

説明文
(開けば読めます)


各武将の幟


 その後は資料館もに見学に入った。料金は100円位を期待していたのだが、思っていたより高く210円を取られた。館内は狭い。それほど展示物もなかったが、私にとっては興味深い物ばかりだった。

 長篠城址を後にした私は各地の史跡を訪ねることにしたのだが、案内板が少なすぎて場所がよく分からない。とりあえずこれだけは逃せない鳥居強右衛門の墓を訪ねることにし探した。こんなことが出来るのは自転車ならではである。他の戦死者の墓もいくつか訪ねる事ができたが、その中でとくに強右衛門の墓は立派に祭られていた。しかし私以外に訪れている人はいなかった。長篠城の時には観光バスまで入っていたが、やはり知らない人が多いのだろうか。


長篠城址の碑


鳥居強右衛門の
墓への道


鳥居強右衛門の墓


 すぐ近くの駅名が”とりい”にはびっくりした。鳥居強右衛門からきたのだろうか・・・

 長篠を後にして帰路に向かう。帰路は鳳来市を抜け新城市から国道301号線を走り三ヶ日を通って帰宅へと向かった。途中、宇利峠と言う小さな峠を抜けるがそれほど苦もなく走り抜ける。ただ三ヶ日からの帰路がきつかった。浜名湖周辺の道は小さなアップダウンが続く。なおかつ疲労がたまってきたらしく足が重い。なんとな16時30分頃、自宅へとたどり着いた。



”とりい”の駅名


宇利峠
(遠く浜名湖を望む)


浜名湖
今日はちょっと濁っている

  疲れたが自転車の旅のおもしろさを知った一日だった。

 最後に・・・ YAHOOの”NEW”の表示が消えて、私のHP名も下の方へ移動したためか、アクセス数激減(ToT) リピーターが来てくれてない証拠かな・・・ 更新がんばって、より面白いHPになるように努めなければ!!



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