
秋の見通りキャンプ場
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この桧枝岐村へと入り昨日で連続4山の登山を無事に終えて、今日この地を去るのが当初の予定であったが、しかし、峠を幾つか越え町を出て行く元気はなく、また登山へと入っていたために日記が溜まってしまっていた事もあり、ここで休養を兼ね連泊することにした。しかし唯一の悩みは、ここに居る限りHPを更新できないことで、午後からでもとも思ったりもしたが、しかし、最初の峠越えのあの辛さを思い出しその元気を失った。
そんな今朝はのんびりと6時起床。最近連日4時には起きているため日が出てから起きるというんはちょっと変な感じがする贅沢にも思えた朝であった。そして起床後、始めたのがいつもの日課であり、また3日分溜めてしまった日記である。今朝の気温は0℃。凍えるような寒さの中、手を何度も擦り合わせ暖めながらキーボードを打つ。しかし、そのあまりの冷たさにしばらくまた寝袋に包り身体を温めながら休憩をする。そんな時間も挟みながら進めていったのだが、昼をまわっても思うように進まずに時間ばかりが流れていった。
1日、こうして何もしないでただPCと向き合ったり読書をしていたりでは勿体ないような気がし、今日はちょっとのこの桧枝岐村を観光してみた。赤いトタン屋根が見事に並ぶ小さな集落のこの桧枝岐村。よくこれで村として維持しているなと驚くほどのほんと小さな集落で、大きな家族といったそんな風に私には見えたほどであった。そんな町の役場前にある歴史民族資料館へとまずは覗いて見たのだが、こんな小さな町にも関わらず、長い歴史が作った伝統をもち、それは文化、芸能、衣食と様々な独自の物を作り上げていることに驚いた。大きな町とは遠く離れ、さらには冬ともなれば完全に隔離されてしまうが為に生まれた文化なのだろう。それが今もしっかりと受け継がれ、そして愛され親しまれているのに、街では忘れてしまったものがここにあるかのようで思わず見学しながら感動してしまった。そしてこの村が好きになった。素朴な町並み。今も天然の水場周りには洗い場が設けられ野菜などをそこで洗っている長閑な姿を見ながら、次に向ったところは、この村の歴史を物語るもののひとつである、能舞台であった。約250年の伝統を誇るこの能舞台での芝居・歌舞伎は年3回今も行なわれ村人たちに今も楽しまれているそうだ。しかし、今はもう雪害対策の為に舞台は固く閉ざされ、その雰囲気、さらには賑わいを感じることはできなかった。

歴史民族博物館にて
ビデオ鑑賞中
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疱瘡神
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桧枝岐能舞台
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橋場のバンバ
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必死に溜まった日記作業
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そしてもうひとつ興味引かれたのが”橋場のバンバ”といわれる神様であった。祀られている石仏は愛嬌ある他には見られないちょっと変わったお顔をなされていた。この石仏が恋のとりもちをするとして親しまれ、良縁で切れたくない縁があるときは、錆びた切れないハサミを備え、そして切りたい悪縁は切れるハサミを供えるといいという。その云われの通り、石仏前にはたくさんのハサミが供えられ、そしてどれも酷く錆び、さらにはハサミが開らき縁が切れないようにと針金にてグルグル巻きに縛られ、さらには南京錠で固く閉ざされているにも多く見られ、それらハサミの姿がよほど印象的だったのか今も脳裏から離れない。こうして、この村を知れば知るほど愛着が湧き好きなっていく自分が居た。長く居るとはいえ、この村を観光したのが今日が初めてなはずなのに、もうずっと前から居るようなそんな錯覚にさえ襲われるほどであった。そう、そんな村のもうひとつ面白いところは、村民の名前である。ほとんどが「星」、「平野」、「橘」の姓であり、今お世話になっているキャンプ場の管理人さんも星さんだ。どの名にも由来がちゃんとあり、それぞれそこにも歴史が隠れていた。ちなみにこうして3つの姓ばかりの村である為、ここでは下の名前で呼び合うことが普通らしい。
さて、こうして村内を散策した後は、また日記書きの続きへと戻る。途中、読書などしたりと何度も休憩もしたが、それでも20時近くまで結局掛かってようやく書き終え身を落ち着かせた。その後はのんびりとキャンプ場での時間を楽しみ、そして休養し、21時半ごろ就寝した。また明日からの峠越え、登山に気合を入れながら・・・
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| ★今日のお食事♪ |
| ・朝食 : |
ごはん・レトルト丼・味噌汁 |
| ・昼食 : |
パン×4・菓子 |
| ・夕食 : |
ごはん・レトルトカレー・味噌汁・菓子
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