
早朝会いに来てきれた
中村さんと仲東さん
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5時。日の昇る前から今日もやっぱりHP作業に追われ、なんとか溜まった日記を少しでも消化しようと必死に格闘するものの、なかなか思い通りには進まない。日が昇ると共に、その日差しの為に液晶画面は見にくくなり、またバッテリーの消化も激しくなり不安もある。さらに今朝はもうひとつ辛いことがあった、それは寒さ、もう地元の真冬並みの”3℃”と今朝は冷え込み、東北北部の山々ですでに初雪を観測しているのもうなずける寒さであり、かじかんだ手を必死で堪えながらPCと格闘していた。そんなときである。昨日に引き続き、今朝もこのバス停へと訪ねてきてくれた方がいた。不思議と出会い多いこのバス停であり、もう何かを感じてしまうほどであるが、そんなバス停を横目に握手を交わしたのが”仲東さん”と私と同じ”中村さん”だ。もちろんお互い旅好きであることも然ることながら、学業の面でも同じ化学系と同じでそんな話でも盛り上がり、3人、話は尽きることなく6時半という早朝震えながらも、日が昇りポカポカ温まりだす8時過ぎまで話し込み今朝も楽しい朝を迎えることができた。ありがとうございました。
さて、そんな楽しい時間はあっという間で過ぎるのは早く、そのあとまたPCへと立ち向かうが、しかし何時までもこうしている訳にもいかずに、9時半、結局、溜まった日記を処理することもできずに峠越え、そして天童の街へと向けて自転車を漕ぎ始めたのだった。さて、その峠道、昨日と比べれば徐々に傾斜は厳しくなるものの、しかし、いつも言うような壁のような坂もなく「えっ?」と驚くほどすぐに峠についてしまった。標高500mほどあるはずなのに、いつそれほど上ったのかと疑問もなげたくなるほどであり、また多数から、「あそこのトンネルは狭く事故も多いから気をつけてね。」と言われ、不安だったトンネルも工事中だったこともあり、方側通行で、私の通過時は両方通行を止める待遇で気持ちよく通過、ただ、他にも工事中が多く、何度も止められたりとはイライラさせられるときもあったが、しかし青空に恵まれ気持ちよく坂を下って行った。そして下りきったところが天童の町である。

天童・佛向寺
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この天童へと来た理由、将棋?温泉?とよく聞かれるが、どのどちらでもなく、ただ明治の遺構である”東村山郡役所”が残っていると聞いて行ってみたくなったのだ。そんな理由だから、温泉も、将棋館も素通りし、目指すは郡役所。ただ、そのすぐ手前で足を止めさせられることになった。その見事な庭に誘われて入った先は”佛向寺”で、地元では有名な寺だそうだが、全国的には名もないところ。だが、それがゆえに、その静かで趣きがあり、その雰囲気にしばらく浸っていた。そして、ここから今日の写真撮影会が始まった。10月18日発売の「YahooBBマガジン」にこのHPを紹介してもらえることになり、その為の写真撮影である。PCやHPにも多数の画像はあるのだが、画素数が足りずにこうして新たに撮ることになったのだ。それもなかなか急で一昨日夜にそう言う事に決まったのだが、しかし昨日は慌ただしい市街で落ち着いて撮る場所もなければ、趣きある場所もない。こうして期限である今日になってしまったのだが、しかし、そんな今日はまさに写真日和とも言える絶好の青空で、この寺よりひとり試行錯誤を重ねながら写真撮影に没頭し始めたのだった。

旧東山村郡役所にて
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旧東山村郡役所
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もちろん、この後のメイン観光、郡役所ではさらに力が入る。また建物前で悪戦苦闘しながら撮影していると、その庭園を整備していた庭師達に声を掛けられ、「よかったら撮ろうか?」とも言われたが、しかし、写真撮影にどうしても注文が多くなってしまうために、申し訳なく「頑張ります。」と遠慮はしたが、でも、ちょうど昼時とあってそのお茶の席に一緒に混ぜてもらえることになった。また、昼の程よいポカポカした日差しの中でのこうしたのんびりした団欒、そんな楽しい時間を共に過ごし、そして、この後、再び写真撮影と力投して、ようやく旧郡役所資料館 の見学へと入った。そんな資料館、嬉しいことに記念期間中で無料、そしてさらに嬉しいのが、資料が充実していることである。ちなみにここ天童は僅か2万石の織田藩ではあるが、しかし織田信長の宗家でもある。しかし、過去の栄光はなく、幕末も近くともなれば多くの他藩同様に財政不足に貧窮し、そんな時の下級武士の内職が将棋作りだったそうだ。そんなことから”将棋の街”として今にその技術が伝えられている。そんな小藩の苦労、苦痛をマジマジとこの資料館では伝えてくれ、また、戊辰戦争の時の立場的辛さも詳しく説明され、内容の濃い見学となった。
旧東村山郡役所:明治11年に郡制が布かれたことに伴い、東村山郡役所として創建されたもので、明治12年10月に落成した。創建当初は、3階に塔屋をもつ瓦葺漆喰壁の建築であったそうだが、その後、2階建てに改造された。しかし、老朽化の激しいことから昭和60年に解体復元工事となり、それを期に下の塔屋のもつ建物に復元された。
この後、この山形県を代表する観光地のひとつ”山寺”へと今度は足を運ぶ。そしてそこで再会も待っていた。東北北上中の6月12日に会いに来てくれた山形の尾形さん。今回は「ぜひ家へ!」と誘って頂き、さらには今日、共に観光してくれることにもなり、この山寺で無事に再会を果たして、そして共に山寺観光へと歩き始めた。そんな参拝、尾形さんにも協力してもらって写真撮影にさらに力が入った。寺前を行ったり来たりと走ったり、また、参拝というよりもポイントを探しながら歩くと言った感じであり、とても観光とも言えず、普通の人よりも倍以上も掛け、ポイントを見つけては足を止め、何度も納得いくまで撮影しては歩く。そんな繰り返しだから進まないのは当たり前であるが、しかし、それが苦ではなく意外に楽しい。そしてそんな写真ポイントも迷うほどあるからなおさらだ。この山寺こと立石寺 は景観豊かな侵食された岩の断崖に社が立ち並び、まるで水墨画のような世界が広がっている。ちなみにそんな断崖絶壁が修行僧達の修行の場ともなっているという、それほどのところが目の前に聳えるのだから撮影には困らない。いろんなところで、2人、ワイワイと撮影会をしながらのんびり散策。一人ではとても考えられない試行錯誤しながら楽しむという今までにない観光となった。そして最後は名物の玉こんにゃくを尾形さんがご馳走してくれた。その味がまたよく沁み込んでいて美味しいこと!ペロリと平らげると同時に山寺を後にした。もちろん、お世話になる尾形さん宅までは2人併走と、染まる空を眺めながら、のんびりと楽しく山を下っていった。
山寺(立石寺):山形市山寺にある天台宗の寺。俗に山寺という。860年(貞観2)円仁の開創と伝え、1543年(天文
12)円海が再興。りゅうしゃくじ。 ※広辞苑より

山寺本堂
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尾形さんと友に参拝
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奥に院へ向けて・・・
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眺めは最高♪
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奥の院へ到着
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下山後は
名物こんにゃくを♪
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月
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こうしてお米屋さん営む尾形さん宅へと17時過ぎお邪魔した。家は昔ながらの佇まいで道路側に面しているところは狭いながらも奥は驚くほど長く続いている。そんなお宅へで家族皆、温かく迎えていただき、お世話になった。まずはお風呂で汗を流し、そして尾形さんと共に旅の話尽きることなく団欒、そして食事の時もさらに続いて、今度は尾形さんもお母さん、登山を最近始めたところと、今度は山話で盛り上がり、話は尽きることはなく、時間だけがあっという間に流れていった。そして夜、今度は蔵王温泉は天神の湯へと連れて行ってもらって入浴。山麓の夜だけに冷え込むのだが、そんな中での露天風呂は最高であり、また変に気取っていない素朴な温泉にも魅かれて、ここでもついつい長湯をしてしまい、戻った時にすでに10時を越えていた。さあ、それからHPの更新へと乗り出すのだが、気力のみで身体が付いて行かずに、すぐに睡魔に襲われ、こっくり、こっくり、首は垂れ、とても更新をしていられず、結局をほとんど何も出来ずにそのまま寝てしまった。23時ごろであったと思う・・・ ちなみに夜の写真はあまりの楽しさに撮るのを忘れてしまった(汗) なんとも恥ずかしい限りである。
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| ★今日のお食事♪ |
| ・朝食 : |
パン×3・ヨーグルト |
| ・昼食 : |
パン・菓子・果物 |
| ・夕食 : |
ごはん・餃子・煮汁などなどご馳走に♪
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